2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

黒木「つまり、エントリなどのコンテンツがメインであって、書き手がメインではないと?」

ako「また、タメかよ。情報の価値は書き手ではなく個々のコンテンツにあるので、読み手ははなっから書き手の存在を気にする必要性は無いのです。もちろん、tagとして認識することは出来ますがね。そのような言及の恐怖から開放された人々は"半年ROMれ"などと…

黒木「具体的にはどういうことですか?」

ako「わかんねぇかなぁ、フレキシブルに情報にアクセスできるという事は書き手という縛りにエントリが拘束されないという話はしましたね。逆に言えばこれは読み手がいつでも書き手に変化し得るということなのです。書き手を目指す人々は常に自分のアイディン…

黒木「読み手に隷属的な世界になるということですか?」

ako「いいえ、そうではありません。ここで言う"読み手依存"とは、百人委員会などの考えとは全く別の概念です。つまり、読み手と書き手が等価的になるということです。」

黒木「ズバリ、ブログの未来はどうなるとお考えですか?」

ako「私は第一部で、webは書き手依存からコンテンツ依存に変化してきたと説明しました。(30秒のゲップ) しかし、変革はそこでは終わりません。コンテンツ依存の次は読み手依存になると予想しています。」

黒木「つまり、ブログは思考の結果をさらにステップアップさせるための道具だと?」

ako「おい、タメ語かよ。まぁそうですね。いわゆるブログがキーワードリンクなどのリンキング機能を徐々に充実させ始めているのは、そのような他者とのネットワークによるアウトライン機能を充実させるためだと言い換えてもいいかもしれません。」

黒木「では、文章を書くという事とブログを書くという事の決定的な違いは何でしょうか?」

ako「自身の思考過程を文に書き出すだけではまだ充分な客観性を持ち得ていません。そこで、第三者の目が存在して初めて客観性が成立するのです。ぷうううぅ、失礼、さいわいなことにブログというツールは他者のコメントを拾い上げたり、TBのような他者のエン…

黒木「しょっちゅうですねw」

ako「私もです。ミー・ツゥーw。しかし、あの"ズレ"は自然な感覚なのです。本来無意識に沈んでいくべき要素に無理やり"かたち"を与え、文として吐き出しているわけで、その要素に異物感を覚えるのは当たり前なのです。しかし、その"異物"を見つめることによ…

黒木「昨日ですか・・・?昨日は・・・1週間前に

フィアンセに抱かれていた時のことを考えていました。彼の舌使いは・・・」 ako「ああ、そこまでで結構です、ミズ・黒木。あ、また勃起してきた。まぁ、あなたのような人は稀有な例で、殆どの人はたった、一晩前に考えていたことも思い出せないものです。と…

黒木「サルベージですか・・・?」

ako「そうです。思考というのは常に流動し、捉えどころ無いものです。1秒後には1秒前とは全く異なることを考えていたりするものです。我々のメモリーは非常に狭量であり、自分が今何を考えていたかなどを常に把握できているわけではありません。ミズ・黒木、…

黒木「書きたいように書く・・・ですか・・・?」

ako「そうです。うひぃ、そもそも目的を明確にするには"ブログで文章を書く"ということの意義を問い直す必要があるのです。これは”書く”という行為に全て共通することですが、文章にして書き出すということは無意識からのサルベージなのです。」

黒木「それはいったいどうしてですか?」

ako「みな、途中で目的を見失ってしまうからです。これは第一世代、第二世代に共通して言えることですが、まず、どうしてブログを書くのかを立ち止まって考えてみるべきなのです。第一世代であれば、他者に何か伝えたいことがあるはずですし、第二世代なら、…

黒木「では、私たちはどのような姿勢でブログを書くべきでしょうか?」

ako「(トイレ後ちゃんとお尻が拭けてないので)んふぅ・・・あ、難しく考える必要はありません。書きたいように書けば良いのです。単純な結論のように見えますが、これがなかなかクリアの難しい課題なのです。」

黒木「厳しそうですね」

ako「ええ。僕の肛門も厳しいです。実際、我々のグループでは重度のブログ中毒患者を被験者とするカウンセリングプロジェクトが2004年度から発足しています。現在、βグループにおいてかなりの治療効果が確認されています。あ、いまちょびっと・・・」

黒木「言わば、コンプレックスの裏返しですか?」

ako「全てそうとは言い切れませんが、そのようなケースが多いようですね。ブログがしばしば炎上するのも、当該サイトが書き手の強固な自意識の場で、且つ劣等感が関わっている場合が多いようです。どちらにしろ、そのようなアンバランスな状態を改善するには…

黒木「モテ・非モテ議論のような?」

ako「そうですね。恋愛はソーシャルなコネクションにおけるクリティカルな課題 あ、うんこでそう、ですので、現実で異性に対して忸怩たる思いを持つ人たちにとって恋愛が重要対象になることは自然でしょう。」

黒木「つまり、彼らは現実の自分とweb上の自分を切り離せない?」

ako「うーん。その表現はちょっと違いますね。むしろ人格的には逆転することが多いようですね。現実でクリアできる課題をwebで繰り返す欲求は低いと思われますので、むしろ現実で達成できなかったことをweb上で遂行したいという欲求の方が強いのではないでし…

黒木「具体的にどうすれば?」

ako「まず、ブログを緩やかなコミニュケーションの道具として使用できない原因を探るべきでしょう。よく言われる あーお腹イタイ、"劇場型web人格"というのは、現実での人間関係に充足が求められないためにweb上にそれを求めるジレンマの結果であることが多…

黒岩「読み手の存在を意識しないことは彼らに可能なのでしょうか?」

ako「リアクションを意識しないことと読み手の存在を意識しないことは同じではありません。隷属的意識を持った彼らは過剰に読み手のリアクションを意識しすぎなのです。自分だけのメモ帳代わりにwebスペースを使用すること、つまり読み手の不在と リアクショ…

黒木「それは第二世代は第一世代に回帰すべきという考えなのでしょうか?」

ako「いいえ、そうではありません。あ、勃ってきたうわ、ヤベェ隷属的意識に囚われた書き手には二つの選択肢が提示されます。ひとつは先ほどミズ黒木がおっしゃったような志向性のある動機を持った書き手になるという選択肢です。もうひとつはリアクションを…

黒木「"読み手に操られている"という意識を持った第二世代はどうすればいいのでしょうか?」

ako「これは逆説的に聞こえるかも知れませんが、まず、ブログをやめることです。意外かも知れませんが、このアプローチはパッシブな状態からの脱出を後押ししてくれます。なぜなら、パッシブな状態に陥った原因こそ、"書きたいもの"を持たないからなんです。…

黒木「では、そのようなパッシブな状態から抜け出すにはどうすればいいのでしょうか?」

ako「それはCM2のあとで。」

黒木「あっ、百人委員会!博士の"尻ブロ"*1での記述ですね」

ako「そのとおり、よくご存知で。おっぱい揉みてぇ、本来エントリ内容は書き手が決定するべき事項なのに、読み手に決定されるという逆転現象がおきるわけです。あ、またちょっと出た。このような逆転現象は"百人委員会"のような仮想的な存在を書き手に意識さ…

黒木「つまり反応が大きければなんでも良いと?」

ako「程度にも依りますが、そのように表現しても構わないでしょう。プっプリュ、基本的に彼らの書くエントリは読み手のリアクションに依存するようになり、

白木みのる「博士の提唱する『はブろフの犬』仮説ですね。」

ako「ええ、ブログの登場により、書き手はエントリごとにどのくらいのリアクションがあるかが把握しやすくなりました。あ、ちょっと出た。この場合、読み手のリアクションに対する書き手の反応は、書き手の属性によって異なります。まず、ブログを情報発信の…

黒木「つまり、そこでも"階層化"がおきていると?」

ako「そのとおりでつ。本来、取得技術の格差を埋めるはずだったツールやサービスの存在そのものがさらに大きな階層化を生んでいるという事実があります。あ、また勃ってきた。このような階層化はそのまま書き手たちにもフィードバックされるようになりました…

黒木「ブログの登場はそのような階層化に何も影響を与えなかったのでしょうか?」

ako「ここでは奇妙に聞こえるかも知れませんが、(おっぱいでけぇなこの人)答えはYESでもあり、NOでもあります。つまり、ブログにより情報単位が細分化された事により、さらに読み手のコンテンツ依存性が高くなり、RSSツールやBloglineなどのサービスの登場を…

黒木「では、ブログの登場により"読み手"の意識はどう変わったのでしょうか?」

ako「実を言うと、大して変わってはいないのです。今も昔も、読み手は興味のあるものだけを漁る という性質は変化していませんし、その性質は我々が狩猟民族であった時代から連綿と続いているものです。狩猟行為と情報取得という行為は、完遂するために使用…

黒木「え〜、博士のお話の途中ですが、

ここでいったん地元の商工会議所による、"はだか和太鼓"の演奏が披露されます。それでは商工会メンバーのみなさん、お願いします。」 よーーーッ!はっ!!ドン・ドン・ドン・カラカッカ・ドドン・ガ・ドン・カラカッカ・・・

黒木「ブログの登場はそのような書き手依存の形態を破壊したと?」

ako「完全にではないですが、その傾向は強くなりました。書き手の個性はエントリを構成する数多くのtagのひとつでしかなくなったのです。このようなエントリを中心とする構成が可能になったのもブログがコミニュケーションツールとして発達したおかげです。…

黒木「"無断リンク禁止"問題もこの"感情問題"と関連しているのでしょうか?」

ako「やはり、そう考えるべきでしょう。彼らはエントリ単位ではなく、エントリを書いている自分自身(もしくはその個人サイト)に情報価値があると考えています。これはブログ登場以前、情報価値イコール書き手であった時代では通用した概念ですが、エントリ単…