イナゴを哀れむ歌 - ドン・クライ・ロンリーホッパー

「なるほど、それで我が社へお越しになったと?」
「ええ、まぁウチではそのような調査がメインですので・・・」
「しかし残念でしたね。どうやら無駄足を踏ませてしまったようで」
男は人の良さそうな、満面の笑みで頷いた。
浦賀惣一。29歳。大学時代にサークルのメンバーとともに会社を創設。順調にその会社は成長し、今のITコンサルティング会社『ネットウォーキング』社に到る。
その創立者にして社長である浦賀は再び窓から街を見下ろす。60階から見下ろす夕暮れの街はまるで箱庭のようだ。
「いやそうでも無いですよ、人当たりが良さそうな相手が意外や意外、真犯人てことも」
振り返った浦賀の目に笑みはもう無かった。
「資料をご覧になったでしょう?我々に不正をする余地は無い」
タバコを灰皿に戻すと、浦賀は俺の隣に歩み寄った。
「それに・・・あなたは私が見る限り賢そうな人だ。私が言いたいこと、分かるでしょう?」
再び笑顔を取り戻した浦賀はそうにこやかに俺に問いかける。しかし、眼鏡の奥で光る目に笑みは戻っていない。
「それは私どものクライアントが判断することです。」
「・・・そうですか。では我々もそれなりの対応をしなければならない」
「それなりの?」
俺の問いには答えぬまま浦賀は俺から離れ、窓に顔を近づける。
これ以上は何も出そうにない。あきらめて俺がソファから鞄を取り上げようとした時、
「ところでその鞄、何が入っているんです?ネット不正調査の資料の割りにはやけに重そうだ」
「今の時代、クライアントと案件には事欠かないもので・・・」
「なるほど、我々のような無実の企業の資料で溢れているわけだ」
今度は俺が奴の問いを無視する。
「・・・では、資料だけ回収させて頂いて失礼します」
「・・・」
浦賀は興味なさそうに夜の帳が降りつつある街に顔を向けたまま、手を振った。
そこで、ある違和感に気がついた。タバコを吸い終え灰皿に吸殻を置くときも、手を振ったときも奇妙なことに浦賀は利き手の"手のひら"をこちらに見せないようにしていたのだ。
「あのぉ、浦賀さん・・・」
足音を立てないように浦賀の背後に歩み寄る。
「まだ、何か・・?・・な、何をする、君!」
俺は浦賀の右手を掴み上げる。
カフスボタン・・・ほつれてますよ?」
素早く腕を引き離すと浦賀は逃れるようにして俺から離れた。
「もう、用は済んだんだろ!早く帰ってくれないか!?」
再び鞄を床に下ろし、鞄のカギを開く。
「な、何を始める気だ・・・?さっきから君は!?・・・早く帰りたまえ」
「こーゆー噂聞いた事ありませんか?ネットイナゴにはひと目で分かる特徴があるという噂をね・・・」
浦賀の背中がビクリと動く。しかし振り向こうとはしない。
「何が言いたいんだね?」
カチャリと音がする。浦賀がテーブルに眼鏡を置いた音だ。
ネットイナゴの体には罵倒タグが刻まれているという噂があるんですよ」
浦賀の背広が急激に盛り上がり始める。やはり・・・奴だ。
「調査屋さんらしくもない。そんな根拠の無い噂を信じるなんて・・・ね?」
鞄を覗き込み、すぐに使用できるかゲージを確認する。
「[粉屋とロバ]・・・あなたの右手に刻まれた文字列だ」
ブチぃブチぃッ。何かが裂けるような音がする。浦賀の背中から半透明の薄い板状のものが2枚スーツを破り突き出ている。まるでソレは・・・翅のようであった。
「お、オレもキぃたこトがあるゼェええ・・!人間ノ癖にィ俺らに素手デ歯向かゥ奴が居るってウわサをなぁアア!」
俺が飛びのくのと奴の強力な後ろ肢がソファごと破壊するのはほぼ同時だった。
「ばレちゃぁショうがネェ・・!アンタには消えてモらウゼェ・・!!」
ガキンッ
金属音が目の前に響く。奴が・・浦賀で”あった”モノが強力な顎で俺の顔を齧ろうとした。
「チッ!スバシコイ調査屋さんだぁ!」
くるりと向きを変えると、人間では到底できない速さで奴は跳びながら近づいてきた。
グシャッ!
鈍い、何かが潰れたような音が応接室に響く。小型車なら軽々と押しつぶすことのできる前足を床から引き剥がす。満足そうに奴は顎をかき鳴らした。
しかし、奴の無表情な複眼が驚きできらりと光る。
「ナ、何故・・・!」
草のニオイが部屋に充満する。奴の緑色の体液が腹部から迸る。
「ソ、それはイケダ銃・・・!」
「スマンね、素手でなくて。俺の鞄に入っているのは資料だけじゃないのさ」
「マ、まサか、イナゴハンターという人間のウワさは・・・お、お前のことk」
シュン!
馬の頭ほどの塊が床に落ちる。文字通りクライアントに確認させるため、それを回収する。
「これで108匹目・・・」
俺はいつも通り、ハント完了の証に割れたテーブルの上に名刺を置いた。

ネットイナゴ駆除
イナゴハンター:阿漕 狂介