これは最終弁当先生をぢすってるわけではありません。

結局のところ(ウチのブログでは"結局"が最頻キーワードです。)、知性っつぅのは二種類あって(出た、二分法!出たよーww)、動的な知性と静的な知性があるなと。やっぱ、若いうちは動的な知性が試されることが多いんだけど、歳とともに、だんだん動的な知性は衰えるものの、静的な知性が培われるみたいな。この辺の話って、芸人*130代限界説にも関係してくるんだけど。まぁそれは置いとく。静的な知性って、どーも、経験によってモジュール化された思考過程が蓄積されていく様子みたいで、老人っつぅのは、このモジュールの存在のおかげで、若い奴みたいに一から考えることを免除されて、思考コストを少ないまま、デプスの深いところに到達できるんじゃねぇの?と思う。この圧縮された思考過程モジュールは個人の中で生成されたものだから、ジジィのどうしてそういう考察に至ったのかということには他人が言及できないんだよねぇ。だって、その思考モジュールって暗黙的(非銘文)だし、そもそも非公開だしね*2。思考モジュールを持ってない若人から言わせると、ジジィの言う格言がピンと来ないんだけど、それはモジュールを経由した思考過程を呈示してないからであって、入力(問題)と出力(考察)と幾ばくかの思考の断片(手続き)しか見せてない。まぁ、意地悪く言えば、老人の強みというのはそーゆう秘匿性にあるのかもしんない と終風爺先生のエントリを読んでると思いました。
逆に言えば、Wikipediaとかで、老人の集合知が集約されてしまえば、あとは姥捨て山直行みたいなw(こらっ

  • 追記

フラグ面子のlaiso先生がわかりにくいなぁと(おれが)思うのはlaiso先生がこの"思考モジュール"を俺なんかよりずっとずっと沢山持っていて、到達してる思考のデプスが深すぎるためかもしんないと思った(とくに文体研究のあたり)。てか、俺以外の人がスラスラlaiso先生の断片を理解してたらどーしよー。(薮蛇とはこれいかに俺あこギ〜ナ 字余り)

*1:ここでいう"芸人"とはバラエティ番組的芸人

*2:逆に言えば、この思考モジュールのおかげで老人は新しい考え方ができないとも言えるけど。