呪いとブックマーク

呪いというものは呪われた者が呪われていることを知って始めて効果を得るのではないだろうかと以前から思っている。
人から呪われているという事実*1は呪いのターゲットである本人が如何に意識から拭い去ろうと思っても、
その人の深い部分に作用し、本人のコントロールできない心理的効果を及ぼすのではないか。
例えば、呪われている事実を知ったあと、些細なことで怪我をしたとする。本来であればそれは些細な怪我であり、その事故によって本人の気持ちが揺らぐことはない。
しかし、これが「呪われている」事実を知ったあとでは少々事情が異なってくる。
ほんの、本当にほんの些細な事故でも、「呪われている」という意識はネガティイブな作用を、それも呪われている本人がいくらそれを否定しようとも、脳裏のどこかにひっかかり、無意識レベルでじわりじわりと影響を及ぼしていく。
やがて、そのネガティブな作用は心理的効果から徐々にターゲットの行動基準にまで及ぶようになり、ターゲットの意識されないスケールでターゲットを不幸の連鎖(「呪われているからこんな事故が起きたんだ。この後も同じような事故が起きるかもしれない」)へと導いていく。
実はこれと同じようなことがブ熊にも言い得るのではないかと私は密かに思っている。
ブ熊はリファからそのブ熊した(言わば呪いをかけた)ユーザからのコメントにより、自分のブログ・サイトがどのように評価されているか知ることができる。
それがもし、ネガティブなコメントであった場合、やはりブログ・サイト運営者に心理的作用を及ぼし、如何にそれを本人が振りはらおうとも、無意識レベルでブログのエントリやサイトのコンテンツの志向に影響を与えるのではないだろうか。
これはポジティブなコメントにも同様なことが言えるが、常に世間の耳目を集めるのは”よからぬ”ものばかり。
そう思うと、ささいなブ熊もちょと怖いな と思うのは大袈裟であろうか。
『ブロガー殺すに刃物はいらぬ、ネガティブコメントつけりゃいい』

ということを

おれカネ先生のエントリタイトルだけを見て
書いてみたのだけど、思いきし冒頭がカブってて、我ながらひっくり返った(ズコーッ

*1:正確には"事実"でなくても