修正前

tomozo3選手、ども。
私の頭の中のデウス・エクス・マキナ - 量産型ブログ
いや、おっしゃるとおり、後半における、人間という存在自体が不条理な世界に生きるがゆえに、森羅万象すべてに「ストーリ−」と「存在理由」を求めてしまう本能を持っているという論点については異論はまったくありませんし、むしろそのような話に持っていってエントリ化しようと考えていた僕にとっては「先にやられた」という感がなくもなくありません(どっちやねん)。
しかし、ここでT3選手と僕の考え方で異なるなぁと思う点は、前半数行に関わっています。

今も昔も"左翼の陰謀"メソッドと言うものがあり、統治側も陰謀を疑ってきたし、或いは利用してきた。ほら、国会議事堂に火を付けた後に共産党の仕業です!とかさ。

うーーむ、ううーーむむむむ・・・プリュッ、あ、失礼。
体制側の打倒を夢見る赤い乙女たちを仮に"左翼"とするならば、支配層というものが社会構造に組み込まれてきた時代から彼女(?)たちも存在していたことになるわけでそ?言い換えれば、権力というものが存在してきた時代から左翼的もの、というか反体制的立場をとる人々も同時に存在してきた というわけじゃないですかぁ(伝家の宝刀「じゃないですかぁレトリック」ここは勝ちにいきますよ、T3選手!)。といことはね、常に歴史的に見て重大な事件とか出来事とかは大雑把にいうと、この支配層と反体制側のせめぎ合い及び世代交代*1に収束するわけですよぉ。そー考えると、支配層に対して勢力的にどーしても劣っている反体制の人々はここで一計を案じなければならない必要性というのもそれなりに歴史とともに古い、超古いんですけどぉ〜という感じなわけですよ。じゃぁ、その一計とは何かと問われれば、もうお分かりでしょう。
「おはようございます。小島一計です。」

修正後

tomozo3ちゃん、ども。なるほどぉ、そうかぁ。

*1:反体制側が支配層に入れ替わる