雑草ノート:世の中のネタ・ガチ比率
どうなんだろ、世の中の人ってひとつのコンテンツがあった場合、殆ど全てがネタ・ガチのどちらかに分かれるって思ってる人は多いんだろうか?ネタのなかに真実を、本気に見せかけてネタ信号を入れるっつぅのは結構古今東西で使われてたメソだと思うンだけど、あんまり、そーゆー話題には今のブロガさんたちは興味みたいな感じだなぁーと。
とくに格闘技って、ここらへんの話が毎回繰り返されてると思うンだけど、実際どうなんですかねぇ・・・。ノアだけはガチとかよく言われる文言ですけどコレ自体がネタっぽい使われ方してますからねぇ。あんまプロレスとかよく知らないんですけど、プロレス自体ネタ・ガチ ギリギリのところに真骨頂があるような部分もあるんですかねぇ、ミスタ高橋の告発本で「プロレスは全てネタですよーだ」って宣言した途端、各方面(主にプロレスファン)からボコボコ叩かれたという経緯からすると、やっぱそうなのかなぁとも思う、知らんけど。むしろ、拝み渡りとかよりも小橋の逆水平に対するこだわりのほうが僕にとってはネタ信号に見えるんですけど(つか、長州が嫌がるくらい逆水平を繰り返す小橋をほほえましく見ちゃうんですけど)どうなんでしょうか?
あのWWEだって、思いっきしネタだということで認知されてますけど、ちゃんと見ると人種差別問題、ジェンダー問題、移民問題、資本主義の雇用問題(マクマホンがらみ)、同性愛問題とか、結構マジな問題とかをガチ信号として紛れ込ましているし、この辺がハッスルマニアとは違うなぁと。ハッスルはネタノイズからガチ信号を検出するのが非常に困難ですからねぇ・・・その辺の構造の違いがやっぱ、日米の差かなぁと。だって、ハッスルマニアで在日問題とかガチ信号紛れ込ませたら、観客引くでしょう、確実に。あ、でも、最近はハン流とかあるしねぇ どうだろ
という雑草が生えてたので抜いときました。