「しない」善より「する」偽善

っていういかにもネット上でしか話題にならないような課題があるんですが、
でも、「しないほうがいい」偽善っていうのも付け加えるべきじゃないんかなぁという
のが僕の感想でして。偽善(その目的が行動を為した本人の自己満足)でも、それで結果的に困ってる人を助けられるのであれば、それって普通の善なわけで。
じゃぁ、ホントにみんなが嫌悪する偽善って何かというと、一見それがとても良い事のように見えて、実際はむしろ悪い結果しか招かないような行為こそが糾弾すべき偽善だと思うんです。
で、本題。
今、話題の白腕輪なんですけど、アレがもしホントに貧しい人にお金が渡るんであれば、どんなあやしい会社儲かろうとまぁ許したれやと思うンですが、
もし、アレが単にあやしい人たちの金儲けに過ぎず、一銭も、ビンボーさんに行かないのであれば、白腕輪が売れれば売れるほどビンボーさんとあやしい人たちの経済格差を生むわけですから、まぁ言うなれば「しないほうがマシな」偽善だと思うンす。
詳しい事情は知らんけど、結果的に悪い状況を生み出すモノこそ偽善と呼んだほうがボーダーをはっきりさせやすいのでねぇのという寝言。